2014年8月29日金曜日

屏東線途中下車の旅 ~ 九曲堂駅 ~

こんにちは。仙台台湾朋友会です。

高雄に行ったら、屏東線沿線の途中下車の旅がおススメですが、

高雄に近いところで途中下車するのでしたら、九曲堂駅がいいですよ。

電車の車窓からも見えますが、九曲堂には日本人の業績を讃えた記念碑があります。

是非とも下車してじっくり見てみたいものですね。



飯田豊二技師は、高雄と屏東の間にある川に、

当時としては日本最長の鉄橋を架けた人物です。

記念碑には飯田技師の業績などが記されています。



車窓からも見えますが、奥の途中で途切れている鉄橋が、

かつて飯田技師が作ったものです。

この鉄橋ができたことにより、対岸の屏東から高雄へ鉄道での輸送が可能になりました。

屏東は農業地帯。それまではいくら農作物を作っても売る場所がありませんでした。

鉄橋ができ、高雄とつながったことにより大きな市場ができたばかりでなく、

高雄港からの水運も可能になったため、屏東の農業はたいへん潤ったのだとか。

竹田の米もその例ですね。

飯田技師の鉄橋は現在は使われていませんが、産業遺産として保存されています。



九曲堂駅周辺には、かつての製糖所が残っていたり、

朽ち果ててはいますが、日本家屋もたくさんあります。

これらが整備されれば、駅前は魅力的な観光地になるかもしれません。



次の電車まで時間をつぶすには十分です。

是非、屏東線に乗ったら、九曲堂駅で途中下車を。

2014年8月28日木曜日

三度池上文庫 ~台湾には野球禁止の時代があった~

 晩安! 仙台台湾朋友会です。

竹田の池上文庫にはなぜか縁があり、ひと月の間に3回もお邪魔してしまいました。

さらに池上文庫のことに詳しくなれたので、紹介します。


左に見える建物が池上文庫で、

この建物はもともと、竹田駅から米を発送する会社の事務所でした。

奥に見えるのは、現在、竹田周辺の農家の様子などを展示した資料館になっていますが、

もともとは、お米の倉庫でした。

汽車での輸送は、汽車の積載容量いっぱいになるまで出さないそうで、

倉庫にお米を貯めて、いっぱいになったら出荷したそうです。

昔は池上文庫前の広場に線路が敷いてあって、

この倉庫へ汽車が入って積荷ができたそうです。



前回来たときは、何の資料館なのかよくわからずに見ていましたが、

この資料館は、李さん(故人)という郷土の写真家の業績を紹介するためのものだったのです。

その中で、竹田の客家文化や農村の生活、李さんが撮影した写真など、さまざまな展示があり、

大変興味深いです。「一眼レフ俱楽部」という写真愛好家の団体の写真展も開催されています。



奥のパネルに見えるのが写真家の李さん。竹田出身で屏東の農業学校を卒業後、内地で就業。

大東亜戦争中は、インドネシアで農業指導をしていたそうです。

戦後は竹田に戻ってきて、満州(台湾南部の町)で農業関係の仕事についていたそうです。

趣味の一眼レフは相当の腕前で、当時は一眼レフを使いこなせる人は珍しかったため、

竹田周辺で一眼レフを買った人は、皆、李さんと同じカメラを買い求めたという逸話があります。

手前のお二人は、案内してくださった池上文庫の方々です。

左の方の提案で、もともと倉庫だったこの建物が資料館に生まれ変わったのだとか。

李さんとは一眼レフ仲間だったそうです。




池上文庫前の広場の向かい側に廃屋があります。

ここはもともとは民間の精米所だったそうです。

当時は相当もうかっていたそうです。



奥の小屋の中にお風呂がありまして、

前回来た時はなんでこんなところにお風呂があるのかなと、不思議に思ったものです。

竹田駅の駅員の仕事はかなり長時間労働で、

最終列車が通過するまでは帰ることができなかったそうです。

そこで、駅員は駅の隣の宿舎に寝泊まりし、風呂場も作ったとか。

井戸から水を汲んで石の桶に入れると、

そこから樋を通って建物の中の浴槽に水が溜まる仕組みです。



現在おしゃれな喫茶店になっているこの建物が、かつての駅員宿舎です。

取り壊される予定だった旧竹田駅を守り、池上文庫を創設し、

ここまで素晴らしい文化園區を作った竹田の人々には、本当に頭が下がります。



最後に、池上文庫の方から伺った話を紹介します。

この方は戦後、竹田の小学校で教員になって、子どもたちに野球を指導していたそうです。

野球は最高の娯楽で、校庭で子どもたちを集めて野球をしていると、

どこからともなく町の人が集まってきて、大人も子どももみんなで野球に興じていたそうです。

そんな状況が一変させたのが白色テロ。戒厳令が敷かれると、当然集会は禁止になります。

ある日、みんなで楽しく野球をしていたところへ国民党軍がやってきて、

「集会は禁止だ! 日本の運動もただちに止めろ! 責任者を出せ!」と、

銃を突きつけられ脅されたそうです。

責任者だったこの方は、偶然出張でその場におらず、事なきを得たとか。

もしその場にいたら、国民党軍に連行されて帰ってこれなかったかも知れないとおっしゃっていました。

二二八事件・白色テロ、メチャクチャなことが平然と行われていた時代が、

台湾には確かにありました。

実際に歴史を体験している方がおっしゃる言葉には重みがあります。

スポーツや文化を楽しむことができるのは、平和があってのことなのですね。

2014年8月26日火曜日

高雄市紅毛港保安堂 ~日本軍艦を祀る廟~

仙台台湾朋友会你好!

みなさんは台湾に日本軍艦を祀った廟があるのを知っていますか?

高雄駅から地下鉄で行け、高雄空港にも近い便利なところにある廟です。

南部に来たら行かなければ損ですね!

高雄市地下鉄(KRT)の草衙站から徒歩20分くらいのところに、その廟はあります。

紅毛港保安堂といいます。

本当にこのような日本軍艦(の模型)がご神体として祭られていました。



台湾では日本人を神として祀る廟はいくつかありますが、

軍艦を祀った廟はここだけだそうです。

72名の乗組員ひとりひとりが生き生きと作られています。



海府大元帥とは、1946年に漁民が海の中から拾った頭蓋骨だそうです。

1990年に、日本語のわからない神人を通じて、

「自分は日本第三十八番軍艦艦長である。靖国神社に帰りたい」という神託があったそうです。

それが、この廟に日本軍艦が祀られるようになったいきさつです。



お神輿もあり、記念撮影ができます。



お土産も売っていましたが、この時は廟に誰もいませんでした。



台湾には珍しい青の瓦が美しい廟です。

地下鉄で行けますから、高雄へお越しの際は、是非とも紅毛港保安堂へ!



最後に、先日の高雄ガス爆発事故の後、

高雄市地下鉄構内では、「高雄加油!」的な歌詞の曲が流されています。

この歌詞の中に、「ガンバレ ガンバレ」と日本語で歌われている部分があります。

台湾人は日本人からの応援を心待ちにしています。

日本のみなさん、ぜひとも台湾へ目を向け、耳を傾けてみてください。

2014年8月25日月曜日

枋寮の東龍宮 ~田中綱常海軍少将を祀る廟~ 

賢早(ガオザー)! 仙台台湾朋友会です!

台湾には日本人が神として祀られている廟がいくつかありますが、

飛虎将軍や義愛公などの有名なところとは違って、

意外と知られていないところもあるのです。

今日はその一つ、屏東縣枋寮の東龍宮を紹介します。

ここは、通称「田中大将軍」。その名の通り、田中さんを祭っています。

田中さんはどなたかというと、

天保13年(1842年)、薩摩に生まれた武士で、

明治政府では貴族院議員・海軍少将にまでなった人です。














主神の田中綱常の他、

乃木希典・北川直征・二名の従軍看護婦を祀られているようです。

樺山資紀からの書簡や日の丸も飾られています。

廟は工事中でしたが、中に入ることはできました。

高雄から電車一本で行けます(ただし2時間かかります)。

枋寮駅を出て広場を左に行き、まっすぐ10分ほど歩くと、小学校の向かいに廟があります。

台湾南部へお越しの際は、ぜひ枋寮の東龍宮へ!

東龍宮のブログはこちらです
http://toryokyu.pixnet.net/blog








2014年8月20日水曜日

廬山・霧社 セデックバレの世界を歩いてみる

仙臺臺灣朋友會你好!

廬山温泉へ来たら、セデックバレの世界にも浸ってみましょう。

温泉街からハイキングコースを歩いて行くと、モーナルダオの記念碑があります。

このあたりはかつてモーナルダオが住んでいたマヘボというところだそうです。



モーナルダオを祭る簡素な廟が建てられていますが、

原住民の宗教には見えないので、おそらく漢人が建てたものでしょう。

原住民はほとんどキリスト教を信じているようです。

ハイキングコース沿いにも、道端に十字架を彫ったお墓がありました。



マヘボ古戦場とありますが、なにがどう古戦場なのかはわかりません。



古戦場跡には、もう使われなくなった温泉がありました。

この周辺では、こういう使われなくなって放置された施設が目立ちます。



石板の屋根がかかった小屋に、かすかに原住民っぽさが感じられます。



古戦場跡周辺は、現在畑になっています。



廬山温泉からバスで15分のところに、霧社という町があります。

この町はかつて、霧社事件という痛ましい事件が起こったところですが、

その首謀者とされたのがモーナルダオです。

霧社にはモーナルダオの記念公園があって、銅像と記念碑があります。



公園の中にはこんな建物も。酋長はこんな家に住んでいたのでしょうか?



霧社を散策中、おもしろいものを発見。これはなんでしょう? イヌですか?



これは何ですか? 何百メートルも渡ってこれがあります。



霧社の神社跡です。

鳥居が残っていますが、神社はなく、廟になっています。



燈籠が2つ残っていましたが、ひとつは壊れて無残な状況。

もうひとつはこのように着色されていました。

センスがよくないと感じるのは私だけでしょうか?



廬山温泉に泊まって霧社へ行くなら、

例えば13時廬山温泉発埔里行きのバスで行き、

15時20分霧社発温泉行きのバスで帰ってくるとちょうどいいでしょう。

2014年8月19日火曜日

「羌肉」ってどんな肉? 廬山温泉で山の珍味をいただく。

仙臺臺灣朋友會你好!

温泉大好きの日本人は、ぜひ台湾の温泉にも行ってみましょう!

今日は、南投縣の廬山温泉を紹介します。

廬山温泉は台湾でもっとも高いところにある温泉です。

温泉は無色透明で、癖がなく入りやすいです。

温泉街の真ん中には吊り橋があります。



山の中にあるのがわかりますね。

左手に見えるのは廃業したホテルですが、廬山温泉には廃業したホテル・店舗、

使われていない建物がやたらと多く、

温泉街を活性化する策を真剣に考えないとまずいと感じます。



こんな立派な日本家屋もありましたが、使われていません。



こういう蒸気が噴き出しているのを見ると、嬉しくなりますね。



温泉街を抜けて、崖に沿った小道を進んでいくと、

温泉頭というところに出ます。

ここには温泉付きの食堂が一軒ありますが、

私は朝に行ったたためか、誰も人はいませんでした。営業はしている模様。



温泉付近には蝶がたくさんいて、乱舞も見ることができました。



せっかく山の中の温泉に来たので、山の幸をいただきましょう!

平地では絶対に食べられないものばかり。「羌肉」ってなんだかわかりますか?



「羌肉」とは、「キョン」の肉のことです。

キョンは初めて食べましたが、これが柔らかくてみずみずしくて美味しい!

味は豚肉のようでした。日本人もキョンを食べればいいのに。



キョンという生き物はイヌくらいの大きさのシカで、

日本のある地域では帰化動物として定着しています。

では、シカの仲間だから鹿肉と同じような味なのか。。。??

「鹿肉」もあったので食べてみました。

鹿肉は牛肉の赤身のような淡泊な味わいで美味しかったです。



最後に「山豬肉」を食べました。

これはイノシシの肉。味は豚肉ですが、食感がまるで違います。

これも美味しかった。弾力がある食感が好きです。



キョンもシカもイノシシも・・・

みんなみんな、日本では害獣ですね。

日本人はもっとこういう動物を食べればいいのではないですか?

とても美味しいですよ。台湾の調理法を見習いましょう!

次回は、セデックバレの世界と霧社を紹介します。