2016年1月22日金曜日

『多謝台灣!』交流活動最終報告

2015年10月~2016年1月にかけて台湾で行われた交流活動

「多謝台灣!」の仙台台湾朋友会です。
当会では、まもなく震災から5年になることをうけて、
多大な支援をしてくれた台湾に感謝を示す活動を、台湾で行ってきました。
合計22日間の活動は以下の通りです。


①2015/10/29 台南駅
②2015/10/30 台南駅
③2015/11/16 台中インターコンチネンタル野球場
④2016/01/01 屏東駅
⑤2016/01/02 屏東駅
⑥2016/01/03 屏東駅
⑦2016/01/04 屏東駅
⑧2016/01/05 屏東駅
⑨2016/01/06 屏東駅
⑩2016/01/07 屏東駅
⑪2016/01/08 屏東駅
⑫2016/01/09 屏東駅
⑬2016/01/10 屏東駅
⑭2016/01/11 屏東駅
⑮2016/01/12 屏東駅
⑯2016/01/13 屏東駅
⑰2016/01/14 屏東駅
⑱2016/01/15 屏東駅
⑲2016/01/16 屏東駅
⑳2016/01/17 屏東駅
㉑2016/01/18 屏東駅・台南駅・ブルーペイント
㉒2016/01/19 台南公園・台中駅


活動は簡単で、「多謝台灣!」のボードを持って立っているだけです。
笑顔で通行人の顔を見ながら、目が合えば会釈したり、ありがとうを言います。
話しかけてくる人がいれば対応します。
活動時間は1回あたり1時間~2時間で、
長時間立っていると腰が痛くなるので、このくらいの時間が適切かと思います。

最初の頃は、話しかけてきてくれる人も1人か2人くらいでしたが、
回数を重ねるごとに増えていきました。
同様に、写真を撮っていく人も増えていきました。
多いときは、1日で20人くらいと写真を撮ったと思います。

不思議なもので、
活動は当会FBページで告知する以外は、特に宣伝はしませんでしたが、
活動も後半に差し掛かると、多くの台湾のみなさんにシェアしてもらえるようになり、
情報が拡散していきました。
そして、なんと最後の最後に、『臺週刊』というメディアに取り上げられてしまいました!






フリーハグとか感謝を示す活動をしている日本人がたくさんいる中で、当会が取り上げられたことは幸運であったとしかいいようがありません。誰かどこかで見てくれていた人がいたのでしょう。感謝しています。
メディアの投稿に寄せられているコメントを見ると、慰安婦や尖閣のことを持ち出して日本を批判する台湾人も少しはいますが、多くの方々からは好意的なコメントをいただいています。特に、「台湾は四川地震で中国に多額の支援をしているのに、中国人は感謝を示すようなことをしたか??」という論調が目立ちますね。中国人と比較されることは本意ではないですが、比較されることによって日本へ好感を持つ人が増えれば、かなり国益につながりますね。最初は小さな行動でも、続けていけば大きな流れを生み出すことができるかもしれない。そんなことを身をもって感じました。




活動をしていると、たくさんの方が「ガンバッテ!」と差し入れをもってきてくれます。
これは大変ありがたいことでした。
一番嬉しかったのは手紙です。「活動を見たら、自分の悩みがちっぽけなことに思えて元気が出た」という内容が書かれていました。これは嬉しいですね。






ところで、
差し入れをしてくれた人や写真を撮ってくれた人には、お返しとして、
ハートのロウソクをプレゼントしていました。
ロウソクはあっという間になくなってしまいましたが、台湾の方々には大変喜ばれました。
これらのロウソクは、宮城県川崎町立川崎中学校特別支援学級のみなさんに製作をお願いしました。素敵なロウソクありがとうございました!




活動を振り返ると、
1月に入ってからは1日も休むことなく、毎日活動をし、台湾滞在を終えることができました。
また、当会以外にも台湾に感謝を示す活動をしている人たちはたくさんいることを知りました。
日本と台湾は国交こそありませんが、お互いに感謝しあえる素晴らしい関係にあります。
政権も変わりますので、今後この関係をより発展させることができたらいいと思います。

最後に、台湾での交流活動でお会いした全ての方々に感謝申し上げ、活動のご報告とさせていただきます。ありがとうございました。


2016年1月20日水曜日

1月16日の池上一郎博士文庫15周年式典+池上博士が住んでいた部屋を見学

今年の1月16日はダブルで大きなイベントがありました。

「多謝台灣!」の仙台台湾朋友会です。
今年の1月16日はすごかったですね~
竹田では、池上一郎博士文庫の15周年式典がありました。





96歳のおばあちゃんが、毎年踊りを披露してくださいます。
お元気ですね!
昨年は『岸壁の母』でしたが、今年は『日の丸行進曲』でした。




驚くことに、戦前の日本の軍歌が、現在台湾では歌詞を変えて歌われています。
『海ゆかば』にも中国語の歌詞がつけられ、全く違う歌になって歌い継がれています。
もっとも、日本も明治時代に欧米の歌謡や讃美歌などを歌詞を日本語に変えて日本に持ってきて、違う意味になった歌が唱歌として日本に広まった経緯があります。
これと似たようなことが台湾でも行われたのでしょう。




ゼロ戦さんが見つめる台湾の行く末は?
ゼロ戦さんの手は大きく、力強かったです。



ところで、竹田のある村のある民家に、
かつて池上一郎先生が住んでいた部屋が残っているというので、見せていただきました。
私宅ですので、住所などは伏せておきます。



この部屋は池上先生が生活していた戦前から変わっていないそうです。
60年くらい前にこの部屋に入ったことがある地元の方も、
当時と全く変わっていないとおっしゃっていました。



床は畳ではなく板張りです。池上先生ご夫妻がこの部屋で生活していました。


日本らしさも見られますね。



さてさて、
今年の1月16日には、ご存知の通り、台湾の未来を決める大事な選挙がありました。
ここで結果に言及する必要はないでしょう。
台湾人による台湾人のための明るい国づくりを、日本から応援します。




2016年1月12日火曜日

屏東の魅力とは? 屏東市周辺の見所を一挙にご紹介!

「屏東のどこが好きなの??」ってよく台湾人から聞かれます。

台湾随所に出没中の仙台台湾朋友会です。
台湾は各地方ごとに様々な特色があって、どこも素晴らしいのですが、
どこがいいかと聞かれれば、当会では屏東をオススメしています。
なぜか??  理由はたくさんありますが・・・

①台湾南部の風情がある!
台北しか知らない人は台湾を知っているとは言えません。
最も台湾らしさを感じるのは南部です。ぜひ南部も知ってください。
ただ、一口に南部と言ってもいろんな地域があるわけで・・・

②海がきれい!
日本人目線で見て、台湾にはきれいな海はあまりありません。
南に行けばきれいな海が見れるというわけでもないのです。
しかし、屏東県の恒春半島は別格です。そこだけ別の海みたいです。

③多様な文化を体験できる!
これが最大の理由です。
屏東は台湾人(ホーロー人)だけでなく、客家人や原住民(主にパイワン族)の割合も高いです。
こういう地域は珍しいですよ。


そんな屏東県の玄関口であり県庁所在地、屏東市周辺の見所で、文化的な場所を中心に、
これまで紹介できなかったところを一挙にご紹介します。


まず屏東市郷土芸術館。
こちらは古い客家の屋敷を改築して作った資料館です。



なぜか館内には猫がたくさん・・・



ここは日本間だったと説明書きがありました。



火焼庄古戦場。
かつて日本が台湾を領有する過程において、日本人と客家人が激しい戦いを繰り広げた場所です。客家人が組織した六堆軍も、近代化した日本軍には敵いませんでした。



客家文化を本格的に学びたければ、
六堆客家文化園区へ行くのがオススメです。
http://sendaitaiwan.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html


また、西勢の屏東県客家文物館もいいですよ。
客家女子がカワイイデス。






原住民文化会館。
原住民文化振興のための施設ですが、
資料館という感じではなく、観光客が見学するようなところではありません。





原住民文化を学びたければ、山地門原住民文化園区へ行った方がいいでしょう。
http://sendaitaiwan.blogspot.jp/2014/08/blog-post_4.html


その他、ざっくり紹介します。

屏東中山公園。



阿猴城門。



 屏東孔子廟。



昔の日本人宿舎を改装して作った資料館やカフェ。




ここ以外にも、駅からそう遠くないところに、日本家屋がたくさん残っています。


とうことで、屏東市内を中心に、文化的な見所をご紹介しました。
屏東には観光スポットがたくさんありますので、ぜひ来てくださいね!


2016年1月11日月曜日

【七元帥廟】 台南にある七人の侍を祀る廟

台南に七人の侍を祀る廟があった!

仙台台湾朋友会がお届けする、シリーズ「台湾の日本神」。

今回は、台南市安定區の七元帥廟をご紹介します。




昭和13年(1938年)、この地の上空で飛行機が爆発する事故がありました。
乗っていた7人の兵士が落ちてきたので、亡骸を供養し、埋葬したそうです。
戦後になって、そこに廟が立てられ、七人の侍を祀った七元帥廟となりました。





小さな廟ですが、霊験あらたかな廟のようです。
廟にいた人に聞いたら、
「どの病院に行っても治らなかった息子の病気が、ここで祈願したら治った」
と言っていました。



この廟は台南市の郊外にあり、
ちょっと公共交通機関で行くのは難しい場所です。
場所は、台南市安定區安吉路三段のあたりです。
廟は田んぼの中にあります。

googleストリートビューから拝借した写真ですが、
幹線道路から脇道に入ったところに、七元帥廟の門があります。
この門を目印に廟を探してみてください。



2016年1月10日日曜日

屏東・高樹・廣修禪寺の日本人遺骨安置所

屏東・高樹の廣修禪寺にも日本人の遺骨が安置されています。

仙台台湾朋友会です。
先日、高雄の南部日本人遺骨安置所をご紹介しましたが、
屏東にも日本人の遺骨が安置されているお寺があるので行ってみました。



屏東の日本人遺骨安置所は、高樹という町の廣修禪寺にあります。
屏東駅前からバスで行きます。
時刻表はこちらです。



行き方は簡単です。
高樹のバスターミナルで下車し、来た道を少し戻ります。
最初の信号を右折し、華光路を進みます。
このような標識が見えてきますので、ここを曲がるとすぐです。



バスターミナルから歩いて10分くらいで、廣修禪寺に着きました。
これが納骨堂ですが、この中に日本人の遺骨が安置されています。
ここからは入れませんので、本堂へ回ってみましょう。
本堂かその裏の炊事場に誰かいらっしゃると思うので、声をかけてみてください。




こちらが本堂です。
廣修禪寺は臨済宗のお寺です。
当方に対応してくださった尼さんの師匠は、岐阜県のお寺で修行したそうです。






枯山水を芝生にしたような、南国らしい庭園ですね。



食事までごちそうになってしまいました。
10時過ぎに伺ったのですが、話し込んでいたら昼近くになってしまいました。
これは精進料理です。肉は一切使われていません。



お寺の方々には、突然訪問したにも関わらず温かく迎えていただき、
こんなにたくさんのお土産をいただきました。
本当にありがとうございました!




肝心の日本人の遺骨が安置されている納骨堂ですが、
普段は開いていませんので、開けてもらう必要があります。




こちらの納骨堂に収めれている日本人の遺骨は、
かつて屏東にあった東本願寺の墓地に眠っていたものです。
戦後、国民党によって東本願寺が破壊されたため、
有志が遺骨を収集し、ここ廣修禪寺で供養したとのことです。
遺骨はこうして今でも管理されています。ありがたいですね。



尼さんからは、日本人が来たのは実に久しぶりだと言われました。
20年~30年くらい前までは、団体での参拝もあったそうですが、
今はもう来なくなったそうです。
屏東まで来ればここまでそう遠くはありませんので、
お時間がある方はぜひ参拝してみてください。

2016年1月9日土曜日

1月16日(土)は、台湾の総統選挙があり、池上一郎博士文庫15周年記念式典がある!

池上一郎博士文庫と竹田の紹介

おはようございます。
仙台台湾朋友会です。

みなさん、来週の土曜日、1月16日に台湾で何があるか知っていますね??
まず、台湾の運命を決める総統選挙があります。
民進党の蔡候補が優勢で、政権交代が見えてきました。
台湾の未来がかかった選挙の動向を見守りたいです。

そして!
この日は世界最南端の日本語書籍専門図書館「池上一郎博士文庫」の15周年記念式典がありますよ!
1月16日は、屏東の竹田へぜひお越しください!




せっかくですので、竹田と池上文庫のことを紹介します。
上記の写真は、竹田駅から見える大武山です。3000m級の美しい山ですが、
普段はこんな近くにあるのに、大陸から流れてくるPM2.5の影響で空が霞んで見えません。
1月16日は見えるといいですね!




竹田には客家人が多く暮らしています。
このあたりは六堆と呼ばれる南部最大の客家人居住地域です。



池上一郎博士は、1943年に竹田の野戦病院の院長になりました。
住民からは大変慕われていたといいます。
しかし、敗戦により池上博士は竹田を去ることになります。



数年後、早稲田大学大学院に留学することになった、現池上文庫理事長の劉さんが、
新聞の尋ね人欄に投書し、池上博士を探し当てます。
そして、竹田と池上博士の交流が再開します。
ちなみに、劉理事長はこの時池上博士とは面識がなかったそうですから、
池上博士を探してほしいというのは竹田住民の熱い思いだったのでしょう。




池上博士は竹田の人たちのために、毎年本を送ることを約束します。
ですから、今池上文庫にある本は、戦前池上博士が置いていったものではありません。
戦後、池上博士によって毎年贈呈された本と、多くの人たちから寄付された本です。

2001年1月16日、池上博士の90歳の誕生日に、池上一郎博士文庫が開館しました。
一部では開館式に池上夫妻が出席したという記述がされていますが、
これは誤りです。
池上博士は開館の3か月後に亡くなっており、この時台湾へ来られる状態ではありませんでした。
池上博士は結局、戦後一度も台湾の土を踏むことはなかったそうです。




もう一つ、竹田にまつわる日本人のエピソードがあります。
水谷雪さんの旦那さんは、戦地で負傷し、竹田の野戦病院で池上博士の治療を受けていましたが、懸命の治療にも関わらず、竹田で亡くなりました。
それを知った水谷雪さんは、竹田という地域に強い思い入れを持つようになります。
戦後竹田の地を何度も訪問し、竹田の小学校との交流をつづけました。
水谷雪さんも鬼籍に入られましたが、竹田の人たちからは「雪おばあちゃん」の愛称で親しまれていました。

ということで、日本人とも縁の深い竹田の池上一郎博士文庫。
今年で15周年です。
式典の様子は、来週レポートします。